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今月の特集

No.42003年11月
文明開化の明治時代
堀井紀壬子 タヒボジャパン株式会社
美容顧問

堀井紀壬子

日本で本格的に化粧品が普及したのは、なんといっても文明開化の明治時代です。 明治政府の推し進める急速な西欧化政策のもと、まず衛生という意味で石鹸製造技術が導入され、 さらに鹿鳴館社交界の夜会は香水と西欧的な化粧法を貴族階級に定着させました。感心するのは、 西洋の化学技術を学んだ医師や化学者が中心となって香水や石鹸の製造が早くから国内で行われたことと、 明治10年代には早くも白粉下化粧水やニキビとり美顔水が発売されていることです。

幕末、長崎で蘭方医学を学び、戊辰戦争では五稜郭の志士であった化学者の松本順は、 その後、明治維新政府に招かれ、初代陸軍軍医総監になった人ですが、彼は、明治11年に、 当時のトップメーカーであった、平尾賛平商店から発売した、白粉下化粧水「小町水」を処方しています。 今でいうドクター・コスメの元祖でしょうか。この小町水は「あせも、そばかす、はたけ、手足口中のあれ、 ふきでもの…」その他諸々に効く万能薬といわれ、爆発的なヒットとなったそうです。

この時期に、現在の主要化粧品、トリレタリーメーカーが続々と誕生しています。
明治5年(1872)資生堂、明治11年(1878)塩野義製薬、明治20年(1887)花王の前身、長瀬商店、 明治24年(1891)ライオンの前身、小林富次郎商店、まさに日本における化粧品の歴史は文明開化とともに始まり、 日本の欧米文化吸収の象徴とも言えましょう。

明治の最後のエピソードは、桃谷順天館が、明治35年に発売した化粧用美顔水の、宣伝キャッチコピーです。 明治44年のコピーは、皆さんもどこかで、耳にしたことがあるでしょう。
「色の白いは七難かくす、草々美顔水をお用いあれ」
明治の女性も現代の女性と同様、美白に強い関心があったのですね。

次回は、大正から昭和初期にかけての化粧品のお話をいたします。


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